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長崎地方裁判所 昭和49年(ヨ)18号 決定

申請人

脇内又助

右訴訟代理人

塩塚節夫

外一名

被申請人

株式会社丸金佐藤造船鉄工所

右代表者

木庭栄徳

右訴訟代理人

木村憲正

主文

1  被申請人は申請人を管曲げ職の班である脇内組の作業長として仮に取扱え。

2  申請費用は被申請人の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  申請人

主文と同旨

二  被申請人

1  本件申請を却下する。

2  訴訟費用は申請人の負担とする。

第二  当事者の主張〈省略〉

理由

一被申請人は、昭和六年に創業され、現在従業員約四〇〇名を容し、三菱重工業株式会社長崎造船所の下請として造船業を営む会社(以下被申請会社ともいう)であり、申請人は、昭和二八年八月三〇日被申請会社に入社し、最初は手直し(管曲げの修正作業)、焼曲げの仕事に従事したが、約一年後からは管曲げの専門となり、そのボーシンに任命され、その後組長制となつてからも引きつづき組長として管曲げ作業に従事してきた者であるが、昭和四九年一月一八日被申請人は申請人に対し、これまでの脇内組組長の地位を解任し、翌一九日脇内組から横木組に配転(以下、右二つの処分を本件降格・配転という)を命じたことは当事者間に争いがない。

二しかして申請人は、右降格・配転は、申請人が労働組合を結成したこと、或いはしようとしたことに対する報復としてなされた不当労働行為であると主張するのに対し、被申請人は、降格については、申請人が組長としての任を果さなかつたからであるとして、五項目(「被保全権利の不存在」(1)ないし(5)に記載)の事由を挙げ、また配転については、申請人が従来部下として使用してきた者の下で働くことになり、働きにくいであろうからで、いずれも正当な処分理由に基づくものであると主張するので、以下、この点につき判断する。

1  まず、本件降格・配転に至る経過およびその後の経過につき検討するに、〈証拠〉を綜合すれば、次の各事実が窺える。

(一)  被申請会社においては、一般従業員らが過去二度にわたり労働組合を結成しようとしたが、その都度会社側のいわゆる切り崩しにあい、なかでも昭和三七、八年ごろには組合結成のリーダーが解雇されたこともあつて、なかなかその実現をみなかつた。また同四八年四月ごろ脇内組組員の間で、昇給の基準、賞与の算定基準等の不明に基づく賃金問題に関する不満が持ち上り、これを会社側に糺さんがため、その手段として脇内組は三日間の残業拒否を行つた結果、会社側と話し合う場を持つことに成功したが、結局右問題は解明されないまゝとなつた。しかし、脇内組における右残業拒否、話し合いのことが、本社工場の宮本組長の知るところとなり、本社工場宮本組、浪ノ平工場脇内組が中心となり再び組合結成の気運が生じたが、柳場工場長による切り崩しにより、右宮本が組合結成を翻意したため、この時も右気運は結局立ち消えとなつた。

(二)  同年一二月一〇日脇内組では、前日被申請会社の主催により行われた監督者教育の場において配布された就業規則改正案(形式的には改正案であるが、疎甲第二二号証、同第二六号証によれば、右改正案は、同年一〇月から一一月ごろにかけ、大塚(三菱重工業株式会社長崎造船所からの出向社員)が起案し、これに労働者の代表として柳場本社、大神深堀、神宮毛井首各工場長、宮前労務担当責任者(これらの者はいずれも管理職に属する者であつて、到底労働者の代表ということはできない)が参画し、数度の修正を加えて作成され、その施行日が既に同四九年一月一日と予定されていたものであり、会社側は、右監督者教育の当日、これを右会議の出席者である各組長クラスの者を通じて、全従業員に周知徹底させようとしたことが窺えるのであつて、実質的には改正された就業規則といえる)の回覧を受けたが、その内容、特に退職金制度の点および改正の手続(前記のとおり労働者の過半数の同意がなかつた)に強い不満が持ち上り、こゝに脇内組内部において再び組合結成の気運が生じた。そこで申請人は立神工場の小島班長、毛井首工場の南里組長らに組合結成を働きかけたが、これが、右小島から会社幹部(柳場工場長)の知るところとなつたので、再び犠牲者(解雇者)を出させないため、早急に組合を結成しようということになり、同月二九日夜脇内組組員二〇名全員が申請人宅に集まり、会社に対し、退職金制度、賞与金基準、最低賃金基準の各制定、就業規則改正については従業員の意見を聴問することの四事項につき、来る昭和四九年一月二〇日迄に会社と交渉すること、交渉の結果右要求が容れられない場合は、正式に組合を結成する、右に違反した者は即時退社する、との申し合せをなし、翌三〇日昼休み時間に脇内組の職場(浪ノ平)において、その旨の誓約書(疎甲第二号証)を作成し、脇内組組員全員がこれに署名し、組合結成の準備行為を行つた。

(三)  昭和四九年一月一六日脇内組の全組員は右誓約書記載の四事項につき、会社側と話し合いをしたが、会社側からは明確な解答がえられなかつた。そこで、同人らは右誓約書に基づき労働組合を結成しようとしていたが、その矢先の同月一八日被申請人は申請人に対し、五項目の事由を挙げて組長たるの資格を有しないとの理由のもとに、本件降格を、更に翌一九日横木組に配転した。

(四)  脇内組組員は、会社側に対し、直ちに右処分の即時撤回を求めたが、これに対し、会社側は「申請人の態度をしばらく観る。そのうえで処分の撤回の有無を決定する。」との態度を譲らなかつたため、前記脇内組の団結も漸次下火となり、同年一月下旬ごろには申請人を含めてわずか七名の者が前記誓約に基づき団結しているに過ぎなかつた。

(五)  そこで、これら七名の者は長崎県地方労働委員会(以下地労委と略称する)の斡旋により、この問題を解決せんとし、他の組員に呼びかけたところ、離反していた他の組員らも、右問題が地労委の斡旋で円満に解決できると思つたのか、再び団結したので、昭和四九年二月四日脇内組組員全員で一応丸金佐藤造船鉄工労働組合(以下丸金労組という)を結成するとともに、同日右問題の斡旋を地労委に申立てたが、同月九日右斡旋が不調に終るや、右七名以外の者は再びこの団結から離反し、現在丸金労組の組合員はこの七名の者のみという状態である。

(六)  一方、柳場、神宮、大神各工場長、宮前労務担当責任者(会社側)は同年二月下旬ごろから三月上旬ごろにかけ、丸金労組とは別に労働組合を結成せんとし、三菱重工業株式会社長崎造船所第二組合の荒木組織委員らを招き、組長以上の者を休日に会社に招集したり等して、その準備活動をなすとともに、各組長を通じてその他の従業員に組合加入を勧誘させ、同年三月三〇日佐藤造船労働組合を結成した。

2  次に本件降格・配転の事由につき検討するに、申請人において有給休暇をとつてプロ野球を見に行つたこと、月例ミーティング結果を報告しなかつたこと、監督者教育に出席しなかつたこと、の四事由が本件降格・配転の理由となされたことは当事者間に争いがないところ、〈証拠〉を綜合すれば、これら処分事由については、次の各事実が窺える、

(一)  プロ野球見物の件については、被申請会社において有給休暇の制度を実施し、申請人が所定の手続きを経て有給休暇をとつたこと、当時(昭和四八年三月)被申請会社においては仕事量が多く、特に脇内組では二時間の残業をしてもこなせないほどの仕事量があり、かゝる状態は同年一月から続いていた。しかし被申請人主張のように、柳場工場長が、右休暇願いに対し、強く翻意をうながしたことは窺えない。

(二)  月例ミーティング結果報告の件については、被申請会社においては、毎月一回就業時間中である午後三時三〇分から四時三〇分までの一時間を月例ミーティング時間と定め、組ごとに仕事の能率増進や安全確保のためのミーティングを行わしめて、その結果を各組長から書面で報告させてきたこと、当脇内組においては、昭和四八年六月ごろまではこの報告をしていたが、同年七月以降右報告を全くしなくなつたこと、しかして同年八月以降一二月までにおける他の組のミーティング結果の報告については、全く報告されていないという組はないが、ミーティングが行われれば必ず報告されていたものでもなかつた。

(三)  監督者教育欠席の件については、被申請会社において、昭和四八年一〇月八、九日の両日現場部門の全組長と一部の班長を対称に三菱重工業株式会社長崎造船所教育センターにおいて、同造船所から講師をまねき、現場監督者としての知識を養成するため開催されたこと、申請人も当然右教育には参加が要請されていたが、八日は、義弟の交通事故死による損害賠償の話合いのため、九日は、右義弟の子供の賢信(一二才に達したカトリック教徒が一人前になる儀式)に、夫(義弟)を失い今なお放心状態にあつた妹から、代父として是非出席してくれと依頼され、断りきれなかつたため、それぞれ欠席したが、右欠席の事情は専務に通じていた。もつとも、専務は、右両日のうちの一日、特に九日には出席するよう、かなり強行に要請したが、結局欠席をやむなく認めた。右監督者教育には申請人の他に会社業務(出張)による者一名と、家の法事による者一名の計三名の者が欠席した。

(四)  改善提案の件については、被申請会社の企業運営、安全計画、生産計画などにつき改善すべきことを各従業員から提出させ、その内容によりAからDまでのランク内において賞金を与えることになつているもので、申請人も過去において、何度かその賞金を受けたことがあり、脇内組全体としても従来何件かの提案を行つてきたが、昭和四八年一二月は申請人はじめ脇内組組員は全員この提案がなかつた。

(五)  ところで、本件降格・配転の残り一つの事由については、申請人、被申請人間で争いがあり、前掲各資料によるも、これがいずれとも判明できないが、仮に被申請人主張のとおりとすれば、昭和四九年一月七日は被申請会社の初出の日であつたところ、同会社においては、初出の日は、仕事を午後三時三〇分に打ち切り、以降約一時間ぐらい全従業員が一同に会し、社長の訓辞を聞いた後、多少の酒、肴で一年の安全を祈念して乾杯するのが恒例となつており、当日も右恒例の行事が行われたが、申請人は初荷の荷上げのため、所定の時間までに仕事が終らず、結局午後四時一五分ごろまで荷上げにかゝつたため、右行事に参加しなかつたが、申請人が、荷上げの仕事を午後三時三〇分過ぎごろ行つていたこと、右仕事が一〇分や二〇分の短時間では終了しないことは、被申請会社社長ならびに専務もそのころ職場にきて、見ていたので、知つていた。

3  以上の各事実を綜合すれば、本件降格・配転は、申請人が自己の率いる脇内組組員全員で労働組合を結成せんとしたがためであることは明らかである。被申請人の主張する五つの処分事由も、前記認定のとおりその一つ一つをとる限り、到底正当な処分事由とはなし難く、いま、これを昭和四八年三月ごろから同四九年一月ごろまでの間における申請人の被申請会社に対する一連の非協力的態度の現れとしてとらえ(ミーティング結果報告の件、監督者教育欠席の件、改善提案の件については、申請人の被申請会社に対する非協力的態度の現れと評価されても、一応仕方ないであろう)、右非協力的態度全般を降格・配転の理由とした(被申請人の主張もこの点に存すると窺える)とするも、申請人の被申請会社における従来の実績、勤務状況等に対比すれば、これを本件降格・配転の正当な処分理由と断じることは一概にできないであろう。仮に右非協力的態度が正当な処分理由となりうるとしても、本件降格・配転は、既に述べたとおり申請人が労働組合を結成せんとしたことが決定的な原因となり、なされたものであるから、いずれにせよ本件降格・配転は労組法七条一号に該当する不当労働行為といわざるをえない。

なお本件降格・配転について、被申請人は、別個の処分であると主張するが、〈証拠〉によれば、被申請人は、右降格・配転を昭和四九年一月一六日申請人らと前記のとおりの交渉を終えた後か、遅くとも翌一七日に既に一連のものとして決定していたことが窺えるところ、これに右に述べたところから明らかなように右降格・配転が、申請人らにおいて、労働組合を結成させない意図のもとになされたものであることを勘案すれば、本件降格・配転は一連の処分行為とみるべきである。

三そこで、次に被申請人の「被保全権利の不適法」という主張につき検討するに、被申請人は、本件仮処分は結局のところは、申請人が『脇内班の作業長(従前の脇内組組長、以下脇内組組長という)たる地位』にあること仮に確認するという、ことになり、従つて、本件仮処分申請は、右地位が法律上の利益を有しない限り、確認の利益を欠くことになると主張するところ、当裁判所も右主張は一応正しいものと解する。

1ところで、被申請人は、「脇内組組長」たる地位を単なる事実上のものであると主張するので、以下この点につき判断するに、〈証拠〉によれば、次の各事実が一応認められる。

(一)  申請人は、昭和二八年八月三〇日被申請会社に入社し、最初は手直し、焼曲げの仕事に従事したが、約一年後からは管曲げ専門の仕事をし、そのボーシンに任命され、その後組長制となつてからも引続き組長として管曲げの作業に従事してきたが(以上の事実は当事者間に争いがない)、右入社以前にも既に丸菱商会という造船関係の会社で管曲げの仕事を約四年半経験していた。申請人が脇内組の組長になつたのは今から約一〇年位前のことであるが、脇内組組長であつた時の仕事の内容は、ベンダーという機械を使用して部下組員と同様にチューブ曲げの作業を行うとともに、組長として一九名の部下組員の勤怠把握(出勤簿の整理)、仕事の割振りおよび作業上の指揮(作業工程の管理)、その他日報の記載等で、班長、平組員の仕事内容と異質の面を有していたこと、従つて、賃金面において、これら一般組員に比し優遇されていた(なお昭和四九年一〇月一日からは、組長は作業長と呼称が変更され、作業長には特別手当四、〇〇〇円が別途支給されることになつた)。

(二)  申請人が配転された横木組は、横木組長のもとに組員三〇数名を容し、浪ノ平工場から約三〇〇メートル離れた本社工場内にその職場を有するチューブ組立(脇内組で曲げられたチューブを組立でる)を主な仕事内容とする組であるが、こゝでは管曲げの技術は要求されず、従つて、会社の機構上は同じく「チューブ」職種に属する(疎乙第六号証)も、実際にはその仕事の内容はかなり異つている。

(三)  申請人は昭和四九年一月一九日右横木組に配転されたが、次のとおり転々と作業の内容を変更された。

(1) 山本ボーシンのもとで、パネル組立(特殊な技術が要求される)、次にパイプを図面に基づき継ぎ合せる作業に約二か月間。

(2) 近藤班で前記パネルの組立の作業に約一カ月間。

(3) 雑役として、材料運搬、荷作り、ヘッダーのひずみとり等の作業に延約一〇日間。

(4) ペンキ塗りに二日間。

(5) ひれたたき(切断した鉄板のひずみをハンマーでたたいて伸ばすこと)の作業を現在に至るまで約三カ月間。

そして、短期間にこのように作業内容の変わつた者は、横木組においておらず、かつ横木組組員の作業も大方においてはその内容が固定していること、更に申請人は、右「ひれたたき」の作業を、本来横木組の作業場ではない本社工場の出入口のところで行つている。

2ところで、通常ある地位に変更が生じた場合、従前の地位が法律上保護に値いする(法律上の利益)か、或いは事実上保護すれば十分である(事実上の利益)か、ということは、その対称となつている従前の地位の内容を単に確定するだけでは不十分であつて、変更された地位との比較において、具体的にこれを判断して、決するべきで、このことは、本件の「脇内組組長」たる地位が法律上の利益を有するものか、或いは単に事実上の地位を有するものに過ぎないかを判断するに際しても、等しく妥当する。いま、これを本件につき考察するに、前記認定の各事実から窺えるように申請人が脇内組組長たる地位にあつたときと、横木組の平組員である現在とでは、仕事の内容、場所(距離的な意味ではない)および賃金面(後記のとおり組長はその呼称を作業長と変更されたが、その実質は同一であるから、当然作業長手当は支給される)において、かなり顕著な格差が認められるのであつて、これによれば脇内組組長たる地位は、やはり法律上保護すべき地位に該当するものといわざるをえない。

3ところで、被申請人は、組長たる地位は部下組員の勤怠把握、仕事の割振り等、種々雑多な職務権限の総体をいうもので、かゝる職務権限の総体なるものは未だ確定されていないから、確認すべき対称がないと主張するが、本件の脇内組組長たる地位は、前記認定のとおりかなり具体性をもつているものであり、この程度の具体性があれば十分その内容は確定されるべきものと思われるから、右主張は採用できない。

とすれば、結局被申請人の「被保全権利の不適法」なる主張は理由がないことになる。

四最後に本件仮処分の必要性につき判断するに、前記のとおり本件降格・配転が不当労働行為に該当し、右状態が現在も継続しているうえに、既に前記二の(五)、(六)で認定したとおり、本件降格・配転後に申請人らは丸金労組を結成したが、その後会社側はこれに対抗するため、組長クラスを中心に佐藤造船労働組合を結成し、丸金労組の活動を困難ならしめていること、更に〈証拠〉によれば、丸金労組の組合員である月川金夫に対し、同人が組合活動のため残業が少なくなつたことに関し、上司である溝江と言い争つたことを上司に反抗的態度をとつたとの理由で、三日間の出勤停止処分にしたり、同じく同組合員である中村孝則に対し、同人が従来なしていた仕事をさせず、かつ残業方の要請をしない等、同組合員に対する差別ないしは嫌がらせを行つていることが窺えるのであつて、保全の必要性は十分に存在する。

五被申請会社は昭和四九年一〇月一日付をもつて、被申請会社全体の職制を、従来組と呼んでいたものを班に改め、組長という制度を廃止し、これに代るものとして新たに作業長を設け、脇内組においては申請外溝江利明を作業長に任命したことは当事者間に争いがないところ、〈証拠〉によれば、同会社全体を通じて、従来の組長は全員そのまゝ作業長となり、班の数にも増減なく、その作業内容も人員の構成にも従来と全く変りがないことが窺える。右事実によれば、現在班と称しているものは従来の組であり、作業長と称しているものは組長であつて、右班と組、組長と作業長とは、実質的には全く同一のものである。

六よつて、本件申請は理由があるので、これを認容することとし、民訴法八九条を適用して、主文のとおり決定する。 (最上侃二)

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